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ベッキー

ペチコートの歴史:ファッションと社会の変遷を映す鏡

こんにちは、ファッション史愛好家の皆さん!今日は、おしゃれの裏側で長い歴史を刻んできた「ペチコート」について掘り下げてみたいと思います。ペチコートは単なる下着ではありません。それは、時代とともに変化する女性の社会的地位や技術革新、そして文化の象徴でもあるんです。

ペチコートの誕生と進化

15世紀:ペチコートの起源

ペチコートという言葉は15世紀のフランスにさかのぼります。面白いことに、最初は男性の上着を指していたんですよ!当時は長いオーバーコートの下に着用されていました。それが時を経て、女性の下着を指すようになりました。このペチコートという言葉は以下の2つの部分から構成されています。

“petit” (小さい)

“cote” または “coat” (コート、上着)

このように元々の意味は「小さなコート」または「短いコート」でした。

16世紀から17世紀:必需品となったペチコート

16世紀から17世紀にかけて、ペチコートはスカートの形を美しく保つための必需品となります。木や鯨骨を使用したフープ(輪)が組み込まれ、スカートを大きく広げる役割を果たしました。

貴族社会におけるペチコート

貴族の女性たちは複数のペチコートを重ね着し、その豪華さを競い合いました。まさに「着る財力」といったところでしょうか。確かにいろいろな文献の挿絵をみると、分厚く重ね着してるのがわかります。これだけ着るとウエストが太くなるはずなのですが、かなりの力でコルセットを締めてるのだと思います。みなさん細いですよね。絶対苦しくて食事はまともに食べれないはず...

18世紀:パニエとフープスカートの時代

ドレスのシルエットを作る役割

18世紀に入ると、パニエやフープスカートの時代が到来し、ペチコートはまるでドレスを風船のように膨らませる役割を果たしました。この時代以降、レース、刺繍、リボンなどの装飾が施されるように変化していきます。

19世紀のクリノリンの時代

クリノリンとペチコートの機能の変化

保温機能と装飾の追加

19世紀中頃にクリノリンの登場でペチコートの役割に変化が訪れます。スカートの形を保つだけでなく、保温や装飾の機能も加わりました。クリノリンは元々、馬の毛と亜麻を織り交ぜた固い生地を指していましたので、重さから不便だったようです。ドレスをむりやり膨らませていたのでゴツゴツ感がみられると思います。

Vintage engraving of Victorian women wearing Crinolines and Hoopskirts, 1860s

20世紀のペチコート:簡素化とリバイバル

20世紀前半:ファッションの簡素化

ペチコートの控えめな役割

1910年代に入ると、女性のファッションはよりシンプルで直線的なシルエットに変わり、ペチコートの使用は次第に減少していきました。さらにフラッパーファッションの登場とともに、スカートはさらに短くなり、ストレートなシルエットが主流となったんです。この時期、ペチコートはほとんど姿を消し、代わりにストッキングが一般的に着用されるようになりました。

ペチコートの復活

1940年代後半から1950年代にかけて、クリスチャン・ディオールの「ニュー・ルック」が発表され、再びペチコートが注目されました。このスタイルではウエストを強調して、ふんわりと広がるスカートが特徴なんですね。そして、そのボリュームを出すためにペチコートが再び使われるようになりました。ペチコートはスカートの下に何層にも重ねて着用され、ファッションにおいて重要な役割を果たしたんですね。

しかし、1960年代に入ると、ファッションは再び変化してミニスカートが流行しました。ペチコートは一時的にその重要性を失い、スカートの下に着用されることは少なくなりました。1970年代から1980年代にかけては、より自由で個性的なスタイルが主流となり、ペチコートの役割は限定的なものとなりました。

現代のペチコート:特別な日の主役脇役

現代におけるペチコートの役割

ウェディングドレスとレトロファッションでの利用

現代では、ペチコートは主に特別な場面で活躍します。例えば、ウェディングドレスの下で花嫁の美しさを引き立てたり、レトロファッション愛好家の間で愛用されたりしています。

素材:白いコットンやレース生地で作られています。これらの素材は、柔らかく軽いものが使われており、肌触りがよく、装飾性の高いデザインが特徴です。

ディテール: 何層にも重なったフリルとレースのトリムが見られます。これらのフリルは、スカートのボリュームを出すだけでなく、視覚的にも豪華さを演出しています。また、刺繍やレースのインサートが施されており、細部まで凝ったデザインとなっています。

ペチコートが語る社会の物語

ペチコートの象徴するもの

社会的地位のシンボル

かつて、複雑で手の込んだペチコートは、裕福な階級の女性たちにとってのステータスシンボルでした。素材の豪華さや装飾の細やかさが持ち主の富や地位を映し出していて、高価なペチコートを着用することは、社交界での存在感を示す手段でもありました。

ペチコートのデザインや形は、その時代の女性像や社会的期待を反映していました。例えば、19世紀の膨らんだシルエットのペチコートは、家庭内での女性の役割を強調し、豊かさと母性を象徴していたと言えます。その形状は、ただのファッションではなく、女性の立場や役割をも示していたのですね。

実用性と美の融合

ペチコートは、単なる下着としての役割を超えた存在でした。保温やドレスのシルエットを整えるといった実用的な機能はもちろん、美しさへのこだわりも欠かせませんでした。レースや刺繍、リボンなどで装飾されたペチコートは、まさに実用と芸術の融合と言えるのではないでしょうか。

ペチコートの進化には織物技術や裁縫技術の進歩が大きく貢献しています。新しい素材や染色技術の開発は、より複雑で美しいペチコートを生み出すことを可能にしました。これにより、ペチコートは単なる服飾品から、職人技の結晶へと変貌を遂げたのです。

ファッションの循環とアイコン化

ペチコートは、時代とともにその役割やスタイルが変遷してきました。その浮き沈みは、ファッションのサイクルを如実に物語っています。時代の流行に左右されながらも、ペチコートはその時々のファッションシーンで重要な役割を果たしてきました

特に1950年代以降、ペチコートは単なる衣服の一部に留まらず、特定の文化やサブカルチャーを象徴するアイテムとしての地位を確立しました。例えば、ロックンロール文化の中では、ふんわりと広がるペチコートがティーンエイジャーの自由と反抗を表現する象徴として用いられました。

おわりに

ペチコートの歴史は、ファッションの歴史であると同時に、社会や文化の歴史でもあります。次に美術館やアンティークショップでレースがたっぷりついたペチコートを見かけたら、それが語る豊かな物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

ファッションには、思わぬところに歴史のロマンが隠れているんです。これからも、洋服の裏側に秘められた物語を探していきたいと思います。皆さんも、お気に入りの服の歴史を調べてみてください。きっと新しい発見があるはずです!

Xのフォロワー様に美術館を紹介していただきました!一見の価値ありですね!服飾史の題材にもなるので、早い段階で見に行きたいと思ってます!

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