沈没船 / サンタマリア号
サルベージ、視認R5
場所:アンティル諸島
サンタマリア号 — 新世界への扉を開いた船
こんにちは!今回は、歴史の中でも特にロマンに満ちた時代、「大航海時代」の象徴的な船、サンタマリア号についてお話ししましょう。この船は、クリストファー・コロンブスが1492年に西回り航路を目指して旅立った際に彼が乗った旗艦なんです。では、さっそくそのサンタマリア号に乗って、歴史の海を一緒に旅してみましょう。
サンタマリア号の船としての特徴
まず、サンタマリア号は「キャラック船」という種類の帆船でした。キャラック船は、15世紀から16世紀にかけての遠洋航海に適した大きな船で、長さは18〜23メートルほど。船体は頑丈で、遠く離れた地まで行くための物資をたっぷり積み込むことができたんです。
しかも、この船には3本のマストがあり、それぞれに帆が張られていました。前方と中央のマストには四角い帆、後方のマストには三角帆が使われていて、風向きによって帆をうまく使い分けていたんですよ。これで、コロンブスたちは広い大西洋を渡るための十分な風をキャッチできたそうです。
ただし、サンタマリア号はかなり大きかったため、ニーニャ号やピンタ号という仲間の船に比べて少し遅かったみたいですね。でも、その分、たくさんの物資を積めるという利点がありました。遠い地へ行くのに食料や水は欠かせませんから、その役割もとても重要でした。
航海中の生活って?
さて、コロンブスたちはサンタマリア号に乗ってスペインを出発し、インドを目指していました。でも、想像してみてください。長い航海、海の上での生活はとても厳しかったんです。船内には約40人ほどの船員が乗っていて、彼らは狭いスペースで生活していました。食事はというと、硬いパンや塩漬けの肉、乾燥豆などが主食だったそうです。新鮮な食べ物は長持ちしないので、すぐに消費してしまい、残りの期間は保存食ばかり。それに、清潔な水も少なく、病気も心配の一つでした。
船の操縦はティラーと呼ばれる棒を使って行われました。これを左右に動かすことで舵を切るんですが、現代の船に比べて操縦が難しかったんですよ。
サンタマリア号の運命
コロンブスが新大陸に到達した後、サンタマリア号は残念ながら1492年のクリスマスにハイチの近くで座礁してしまいました。船はもう修復できないほど損傷してしまったので、コロンブスたちはその残骸を使って「ナビダッド砦」という砦を建てました。この砦は、ヨーロッパ人が新大陸に築いた最初の拠点となったんです。
この事故は不幸な出来事でしたが、コロンブスと乗組員は無事で、ピンタ号とニーニャ号に乗り込んでスペインに帰国しました。サンタマリア号自体はその後の歴史に登場しませんが、その役割はとても大きかったのです。
この写真は 2014年8月03日:ポルトガルのマデイラ島でフンシャル近くのコロンブスの船「サンタマリア号」のレプリカでクルーズをする観光客です。帆船に乗ったことないので一生に一度くらい乗ってみたいですね!
ナビダッド砦の役割り
ナビダッド砦の主な目的は、ヨーロッパから到達したコロンブスの船員たちが滞在し、スペインに帰還するコロンブスが再度この地に戻るまで、現地での拠点として機能することでした。コロンブスはスペインに帰る際、39人の乗組員を砦に残し、彼らはここで現地のタイノ族と共に生活を送ることになります。
当時、コロンブスはこの地域をスペインのために征服し、タイノ族との良好な関係を築くことが重要だと考えていました。彼は、タイノ族から黄金を供給してもらうことを期待していました。また、砦はその後のヨーロッパからの探検や貿易の足掛かりにもなると考えられていました。
ナビダッド砦の悲劇
コロンブスがスペインに戻っている間、ナビダッド砦で残された39人は地元のタイノ族と良好な関係を築けませんでした。スペイン人たちは、現地の習慣や生活を無視し、権威的な態度を取ったことが問題でした。さらに、スペイン人の中にはタイノ族の女性を略奪するなどの行為に及んだ者もおり、現地の人々との間で対立が深まっていきました。
コロンブスが1493年に再びこの地に戻ったとき、ナビダッド砦はすでに壊滅しており、残された39人の乗組員は全員殺害されていました。タイノ族はスペイン人の横暴に耐えきれず、武力で反撃したのです。
ナビダッド砦の失敗は、ヨーロッパ人が新大陸で遭遇する困難の始まりを示しています。この砦は短期間しか存在しませんでしたが、後の植民地政策においても、新たな土地を占領し、現地の住民との関係をいかに築くかという課題は常に付きまといました。
サンタマリア号の歴史的意義
サンタマリア号は、単に「大航海時代の船」というだけでなく、新世界発見の象徴でもあります。コロンブスの航海は、ヨーロッパとアメリカ大陸のつながりを初めて生み出した瞬間でした。この航海がなければ、ヨーロッパとアメリカの歴史はまったく違ったものになっていたかもしれません。
それだけでなく、この航海はその後のスペイン帝国の拡大にもつながりました。大航海時代を通じてスペインは世界中に植民地を広げ、サンタマリア号の航海はその最初の一歩だったと言えるでしょう。
サンタマリア号の遺産
サンタマリア号は現存していませんが、スペインやアメリカにはその複製が展示されています。特にスペインのウエルバでは、サンタマリア号のレプリカが博物館として展示されていて、観光客に人気なんですよ。このレプリカに触れることで、当時の大航海時代の雰囲気を感じることができるかもしれません。
また、サンタマリア号に関する多くの資料やモデルが保存されていて、歴史好きにはたまらない存在です。コロンブスの航海を象徴する船として、今も多くの人々にその歴史的な意義が語り継がれています。
おわりに
こんな風に、サンタマリア号の歴史はとても興味深いですよね!大航海時代の背景や当時の技術、そしてそれがもたらした歴史的な影響まで考えると、サンタマリア号がいかに重要な船だったかがよくわかります。次回、歴史の旅に出るときは、ぜひサンタマリア号を思い出してみてくださいね!
【ゲーム内での説明】
探険家クリストバル・コロン一回目の航海で旗艦を務めたナオ。
大西洋横断後の1492年クリスマスイブに、イスパニョーラ島の暗礁に乗り上げ、航行不能に陥った。
ゲームの説明では船の種類は”ナオ”になってますね、私が記事を書くのにいろいろ調べたら”キャラック”と記載してるのが多かったです。ナオとキャラックは同じ系統の船なのでしょうか?