冒険

建造中の修道院 / バターリャ修道院

ベッキー

【冒険クエスト】
視認R7、宗教学R9、ポルトガル語
ロンドン

ポルトガル国王がヨーロッパ中から職人を集めて修道院を作らせてるって話は知っているかい? この街の工房職人がその修道院に興味を持っていてな。代わりに様子を見てきてほしいそうだ。よかったらくわしい話を聞いてみてくれ。

ルート:ロンドン(工房職人)→リスボン(教会内の司祭)→リスボン沖(オポルト付近)

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ポルトガルの歴史と建築美を体感する「バターリャ修道院」

ポルトガルのバターリャという小さな町には、国の歴史と誇りが詰まった素晴らしい場所があります。それが「バターリャ修道院(Mosteiro da Batalha)」です。この修道院は、1385年のアルジュバロタの戦いでポルトガルがカスティーリャ軍に勝利したことを記念して建てられました。今回は、この美しい修道院の歴史や建築の魅力についてご紹介します。

歴史に刻まれた勝利の象徴

バターリャ修道院は、ポルトガル王ジョアン1世によって建設が命じられました。この決断は、アルジュバロタの戦いでの勝利を神に感謝し、特に聖母マリアへの誓いを果たすためのものでした。この戦いはポルトガルにとって非常に重要であり、ポルトガルの独立を確保し、アヴィス王朝を確立する契機となった出来事です。

修道院の建設は1386年に始まり、完成までに150年もの歳月がかかりました。そのため、建物にはさまざまな建築様式が取り入れられており、特にポルトガル独自のマヌエル様式が加わったことで、その美しさがさらに際立っています。

ゴシックとマヌエル様式が織りなす建築美

バターリャ修道院は、ポルトガルのゴシック建築の最高傑作として知られています。修道院に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、高くそびえる天井と美しいステンドグラスです。この壮大な空間は、まさに訪れる人々を圧倒するほどの迫力があります。

修道院内には、ジョアン1世とその家族が眠る霊廟があり、ここでもゴシック様式の繊細な彫刻と装飾が目を引きます。また、修道院の西側にある「未完成の礼拝堂(Capelas Imperfeitas)」は、その名の通り未完成のまま残された礼拝堂で、歴史の流れや建築技術の挑戦を感じさせる場所です。

世界遺産としてのバターリャ修道院

バターリャ修道院は、その歴史的・建築的価値が評価され、1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。この修道院は、ポルトガルのナショナルアイデンティティと深く結びついており、国内外から多くの観光客が訪れています。

修道院内では、ポルトガルの歴史に触れることができる展示やガイドツアーが行われ、訪れる人々にその重要性を伝えています。また、バターリャの町自体が修道院を中心に広がり、地域の文化的な中心地としても重要な役割を果たしています。下の画像がバターリャ修道院の実際の写真です、ゴシック様式が美しいですね~!

「アルジュパロタの戦い」は大航海時代Onlineでプレイヤー人口も多いポルトガルにとって重要な戦いであったので、少し深堀してみたいと思います。

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アルジュバロタの戦い

アルジュバロタの戦い(Batalha de Aljubarrota)は、1385年8月14日にポルトガル王国とカスティーリャ王国の間で行われた重要な戦いです。この戦いは、ポルトガルの独立を守るために戦われたもので、ジョアン1世が率いるポルトガル軍が、フアン1世率いるカスティーリャ軍に勝利したことによって、ポルトガルの独立が確定しました。

背景

アルジュバロタの戦いは、ポルトガル王国の王位継承を巡る争いから始まりました。ポルトガル王フェルナンド1世が1383年に死去し、彼には男児がいなかったため、その後継者問題が浮上しました。フェルナンド1世の娘であるベアトリスは、カスティーリャ王フアン1世と結婚していたため、ポルトガルの独立を守りたい勢力はこれに反対し、ジョアン1世(アヴィシュ騎士団総長)をポルトガル王に推したとのことです。

戦いの展開

戦いは、ポルトガル中部のアルジュバロタ村の近くで行われました。ポルトガル軍は数的には劣勢でしたが、イギリス人傭兵や民兵の助けを借りて、巧みな防御戦術を展開しました。彼らは、地形を利用し、狭い通路を防衛することで、カスティーリャ軍の大軍を効果的に迎撃しました。

カスティーリャ軍はポルトガル軍の防御を突破しようとしましたが、失敗に終わり、多くの兵士が戦死しました。最終的に、カスティーリャ軍は敗北し、フアン1世は撤退を余儀なくされました。

結果と影響

アルジュバロタの戦いでの勝利により、ジョアン1世の王位は確立され、ポルトガルの独立が守られました。この戦いは、ポルトガルにおける重要な歴史的転換点となり、後にジョアン1世がアヴィス王朝を創設するきっかけとなりました。

さらに、この勝利を記念して、ジョアン1世はバターリャ修道院の建設を開始しました。この修道院は、ポルトガルの歴史と文化において重要な象徴となっています。

アルジュバロタの戦いは、ポルトガルの独立とアイデンティティを強化する重要な出来事として、今日でも記憶されています。

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まとめ

バターリャ修道院は、ポルトガルの歴史と建築美を感じることができる貴重な場所です。いまでもその壮大なゴシック建築とマヌエル様式の融合は、訪れる人々に深い感動を与えてます。もしポルトガルを訪れる機会があれば、この美しい修道院をぜひ訪れて、ポルトガルの歴史に触れてみてくださいね。

【ゲーム内の説明】
正式名称は「勝利の聖母マリア修道院」カスティーリャ王国との戦勝記念に建てたられため「バターリャ(の戦い)」の名前で呼ばれる。数世紀にわたって建築が続けられ、その間にヨーロッパ各地で流行した多くの建築様式が取り入れられた。

「勝利の聖母マリア修道院」はほかの国にもあるようなので、いずれ調べてみようと思ってます。

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